「綱吉様!」

悲鳴に程近い女の叫び声で呼ばれたのは引き摺っていた子供の名だった。

ホテルの玄関をくぐり、エレベーターホールへと足を向けた矢先の出来事に、俺は警戒心を侍らせて振り返る。

オレンジ色の気品を漂わせた照明の光が降り注ぐ中、長い髪を後ろでひとつに纏め上げた黒スーツの女が駆け寄ってきていた。

黒縁のメガネが印象的な女は、俺が腕を掴んだままの子供に向かって手を伸ばしながら、鋭い眼光を飛ばしてくる。

「貴方……っ!スペルビ・スクアーロ…!」

「あ?…誰だ貴様」

ピタリと足を止めた子供の腕を無理矢理引き寄せ、背後へと隠し込みながら足を開く。

こんなところで襲われてはたまらないが、殺り合いたいというのならば喜んで受けて立つ。

女子供だろうが容赦しない。

分け隔てなく平等に接するのが俺の美学だ。

簡易な臨戦態勢をとりつつ睨み返してやれば、女は背筋を伸ばして俺と向き合った。

パンプスのヒールが、カツンと音を立てて止まる。

「貴方がここにいるということは……テュール様もお戻りになられているのね。綱吉様を放しなさい」

「ずいぶんと偉そうな女だな。名乗りもしねえ無礼な奴に俺のものを持ってかれるのは気に食わねえなぁ」

テュールの勝利を疑わない女、か。

俺と奴の決闘を知っているということはボンゴレの関係者といったところだろう。

だが、まだ事の顛末を知らされてはいないようだ。

「貴方のもの…?何を言っているの。綱吉様はテュール様の保護下にあるのよ。それに…物扱いだなんて…!」

「テュールは俺が殺した」

さらりと。

今日の天気は晴れですねとでも言うかのように、なんのことはない口調で俺の口から真実が放たれる。

しかし、その言葉に反応を示したのは予想に反し、目の前の女ではなく後ろに隠した子供だった。

ピクリと、手の中の柔肌が震えを伝える。

「……負け惜しみか何かは知らないけれど、随分なことを言うのね。虚勢を張りたいならもう少しましな言い回しを覚えなさい。これから、この世界に踏み込むというのなら、尚更」

「はっ!ありがたいご教授いたみいるぜぇ!貴様こそ、与えられた情報を有効に使う手段を学ぶべきだな」

「私は、信じた人からの情報しか信じないわ」

「…賢明なことだ」

聡いというべきか、鈍いというべきか。

経験故、慎重なのは当然のことなのだろう。

疑いを持って相対しなければ、渡っていけない世界なのだから。

こいつの反応はある意味、至極まっとうで正しい。

シャンと背筋を伸ばしながら盛大に飛ばされる眼を受け止めて、俺が漂わせる殺気にも理性でもって向き合う。

肝の据わった女だ。

「だがこいつは渡せねえ。俺の勝利の証みたいなものだからなぁ」

「…無礼は貴方の方ね。綱吉様を見つけてくれたことは感謝するけれど、綱吉様に対するその態度は非常に腹立たしいわ。貴方、その子がどういう立場にあるのか知らないのでしょう」

「知るわけねえだろ。それを知るためにも九代目に会う必要があるんだからなぁ。…ああ、お前が取り次いでくれよ」

くっと口端を上げ、わざとらしい微笑を湛えながら顎を上げれば、きゅっと眉間に皺を寄せた女は一歩俺へと詰め寄ってきた。

ふわりと、色素の薄い髪が一房落ちる。

「冗談じゃ――」

「とにかく、こいつは俺のものだ。返して欲しいんなら、テュール様を連れてくることだ。……出来るものならなぁ!」

「ちょっ――!」

わざとガン、と踵を地面に打ち付けて、エレベーターホールへと足を進める。

しきりに後ろの女を気にする子供は無理矢理に引っ張って歩いたためにほぼ全ての体重がかかって重い。

「待ちなさい!」

「言ったことは守ってやるよ。やれるもんならやってみろ」

足早に、ちょうど降りてきたエレベーターへと乗り込んで、扉を閉めれば、慌てた様子で駆けてくる女が手を伸ばす様子を最後に空間が閉ざされた。

静かなモーター音を皮切りに、密室が持ち上がっていく。

ざまあ。

内心で思いっきり舌を出しながら、右から左へと移っていく階数の表示を俺は見つめていた。







「入れ」

「………」

掴んでいた手を離してやりながら、放り込むように腕で弧を描いた。

とりあえず、この子供を放す気はない。

癪なことだが、今のところ目に見える俺の勝利の証はこいつの存在だ。

テュールから譲り受けた…と表現するしかない形の簒奪が、随分と俺の機嫌を損ねるわけだが、こればかりは仕方がない。

奴の絶命は俺が見届けた。

遺体は既に回収されていることだろう。

血液のひとつ。

臭いの欠片も残さずに処理されるであろうあの場。

遺体はきっと早々に埋葬されるのだろうから……やはり、今のところはこいつの存在を失うわけにはいかないらしい。

面倒なこと、この上ないのだが。

「好きに過ごせ。…つっても、長居する気はサラサラねえけどなぁ」

一泊もする気はない。

汗と血を流してしまえばこんなホテルに用はない。

俺と奴の決闘の行方は、あの得体の知れないチェルベッロとかいう機関によって九代目に知らされているだろうから。

早々に謁見を。

こいつの存在も、正体も、ボンゴレの長なら知っているのだろう。

現に、一階で出くわした女もこいつを要人扱いしていたようだし。

「逃げようとかは考えるなよ。てめえがどこに行こうと、探し出すくらいわけないぜぇ」

すっと目を細めて見下ろした子供は、きゅっと唇を引き結んだまま両の拳を握り締めている。

なんだ?

瞳の奥底に、何か――。

「あの……」

「ああ?」

「あ………てゅーる、は」

「……テュール?」

またその名か。

どいつもこいつも、野郎の名ばかり口にする。

勝ったのは俺だ。

生き残ったのも、力を得るのも、俺だというのに。

「奴がなんだぁ…!」

「こ、ころした、って…」

「………ああ」

意識が、なかったのか?

刀の状態では意識がない?

お前も、奴の死に立ち会ったはずではないか。

あの薄暗い廃墟の中心で。

「お前、覚えてねえのか」

「てゅーる、どこ、ですか?おれ、てゅーると、やくそく、してて…」

「…約束?」

「てゅーるのおしごとおわるまで、おれまってるって…おわったら、おれと…」






…テュール、テュール、テュールテュールテュール!






どこに行っても、誰に聞いても、俺はその名に囚われるのか?



これからずっと、呪いのようにその名と比べられるのか?



はっ!冗談じゃねえ!



死人と比べられてなるものか!



俺は俺だ!



奴は!テュールは俺に敗れたのだ!



俺が!



俺が!!





「さっきも言ったが、奴は俺が殺した」

「っ」

「お前と野郎がどういう関係なのかは知ったこっちゃねえがなぁ…死んだ奴に約束が守れるほど出来た世の中じゃねえんだぜ?小僧」

努めて冷静に、かつ冷酷に。

腹の奥底で青く燃える炎を抱えながら、戦慄きそうになる唇を歪ませる。

思い知れ。

奴はもう死んだのだ。

俺が殺した。

俺が勝った。

奴の名声も、ここで終い。

誰にも文句は言わせねえ。

そういう戦いだった。

そういう殺し合いだったのだ。

怨みたければ怨めばいい。

憎みたければ憎めばいい。

その怨嗟こそが、俺の勝利に確信をもたらす。

奴の敗北を、お前にも俺にも知らしめるのだから。





「ふ……」

……面倒臭い。

また泣きやがるのか。

まあ、どうでもいい。

泣きたければ勝手に泣けばいいのだ。

慰めてやる必要性はまったく感じない。

その涙のひとつひとつも、明日のお前の怨恨に繋がる。

俺に感じさせろ。お前の憎しみを。悲しみを。苦しみを。怒りを。綻びを。

それが、出来るのならば。

「お前も、少しは俺の役に立つかもな……」

ポツリと。

小石を投げ落とすように、気付くか気付かないかの小さな呟きを置いて、俺はシャワー室へと身を滑りこませた。

しゃくり上げる子供の声をBGMに変えながら。

バスルームのタイルの冷たさが、ぞくりと、足先から頭のてっぺんまで這い上がるのに心地よさを感じながら。

心地よい余韻と芳しい現実の狭間で、俺はゆっくりと瞼を閉じた。


























スクアーロがレディファーストに目覚めるのはもう少し先でいいんじゃないかなと思う妄想を織り交ぜてみました。
人でなしスクアーロですみません…。青さ故です…!青さ故ということで…!